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新求道期間の道 教皇パウロ六世と教皇ヨハネ・ パウロ二世の演説による |
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迷っている人達に出会いに行かなければならない。彼らはいら立っていて、こんなに残酷で、こんなにバラバラで土台がなく、人間行動の良い基準がない。だから彼らに出会いに行く必要がある。そして彼らに、ごらんなさい、これが道であると叫ぶ必要がある。 |
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初代教会において、求道者はとても大切にされていました。彼等の信仰のため教会が、その時代にしていたことを今、新求道共同体がやっているのだと私は思います。
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なお、洗礼を通して信仰を発見できる歩み、あるいは道とはこの道です。つまり私たちにキリストが教えられた道、福音に示された道がこの道です。私たちの歩みは根本的に次のようなものです。つまり、洗礼の神秘を発見する、その内容すべてを見出してキリスト者であるとは、信者であるとは一体何であるかをそれによって見出すことです。私たちの心の中で、魂の中で、人間性の中で、人格の中で働かれる聖霊に秘跡が道を開きます。聖霊は私たちを再創造し新しい人間をつくります。これです、この道、信仰の道、再発見された洗礼の道は“新しい人間の道”であるはずです。
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共同体は内面的にいつも内から出来上がります。聖霊が我々各人の奥深い存在に、個性的奥底に、霊的奥底に触れるのですが、それは個々にではあっても、別々に触れるのではありません。何故なら我々は一致して共同体に生きるように創造されたからです。
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新求道共同体は洗礼を受けた者達に、福音的カテケジスの歩みの道を辿ることにより、また、典礼生活に参加することにより、ある意味で昔の求道期間を思い起こしなが
ら一歩一歩真剣に、洗礼の秘跡の計り知れない豊かさを理解させ、それに応えさせるように、つとめています。
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“共同体”の目的は小教区の中に宣教的教会のしるしを目で見せることにあります。その目的を果たすために、キリスト教の生命から殆ど離れた人達のため、福音宣教への道を開くように努力します。
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