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新求道期間の道 教皇ヨハネ・パウロニ世福音史家聖ルカ小教区ご訪問 |
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特に意義深いことは、この小教区で7年前の1972年に活動し始めた五つの新求道共同体との出会いであった。
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“さて、あなた方は大分よく話しましたね。一番は、ひげをはやした肋任司祭のジャン・カルロ神父、次ぎはフランコさんです。フランコはあなた方の中でスポークス・マンであると、私は見受けました。あなた方のグループをつくっているその精神、その雰囲気、その他すべてのことが、ありのまま、余すところなく説明されたと思います。何となれば、グループというものは、幾人かの人であるだけでなく、一つの霊であるからです。共同体というグループは内からつくりあげられています。共同体は、いつも内から出来上ります。聖霊が我々各人の奥深い存在に、個性的奥底に触れるのですが、それは個々にではあっても、別々に触れるものではありません。何故なら、我々はー致して共同体に生きるように創造されたからです。聖霊が我々各人に触れ、そして交わりを建て直すのです。この働きにより、キリスト教的一致によって結ばれているあなた方の五つの共同体を理解できます。 |
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ここには、一つのきまり、簡単なルールがあるように思われます。すなわち、他者に何かを与えるために、まず、あなた方自身何ものかを持たねばならない。私は物質的意味で与えるといっているのではありません。精神的な意味で言っています。与えるためには、物質的なものではなく、霊的な目に見えない何ものかを、あなた自身の中に持たねばなりませんし、また、それを発見しなければなりません。 |
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それが発見されると、あなた方は所有するものとなり、他者に与えねばならないものとなるのです。ひとたびそれを見出したら、他者に与えずにはおられないものとなってしまうのです。あなた方が見出したもの、それが、あなたの心を動かす、他者に与えるようにと。このように、このようにして、使徒たち、すべての使徒たちは生まれたのです。今日、旅人カテキスタがある。私、教皇が旅人のー人になった。これは、私自身その富を発見したからです。ひとたび、この豊かさ、この神秘(キリストの神秘、我々自身の霊的キリスト的同一性)を見出したならば、他者にそれを与えずにはおられないものであります。一人、二人、三人と話せば……一切の説明がつくというものです。 |
| (*)オッセルバトーレ・ロマノ紙 1979年11月5・6日 |