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新求道期間の道 教皇ヨハネ・パウロ二世 |
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昨夜のカステルガンドルフォの教皇宮殿の内庭は、パパ様と新求道共同体の出会いのひととき、あたかも聖堂内陣のようになりました。教皇座、堅牢で色鮮やかな壁にかかる十字架、福音書が置かれた朗読台、その傍らの十字架、聖母マリアのイコンがそこにありました。そしてじゅうたんと花:色とりどりのグラジオラス、また、しじまを縫う祈りと賛歌が、その場に神秘的な雰囲気を漂わせました。 |
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“あなた方の話を聞いた私は、主に完全に信頼し、任せきった真のキリストの弟子の精神を感得しました。あなた方は旅人です。しかし、それにもまして何よりもイエズス御自らが、あなた方の中にあって旅をされ、同時に又、他人に対して、あなた方と連れ立って旅をなさるということです。あなた方が、旅人であるということは、第二義的なことです。”教皇は更に続けて言われた。“第一義的なことは、主御自身が旅人であり、主は旅人であられたいのです。主は教会に現存されたいだけでなく、教会で旅人になりたいのです。事実、教会そのものは旅するものです。即ち道を歩む教会であるべきもの、つまり教会は単なる組織だった機構的な有機的なものであるだけでなく、信者に向かい、未信者に向かい、国民に向かい、共同体に向かい、即ちあらゆる人々に向かって道を歩んでいくべきものです。今、言ったような区別は、キリストの目から見れば――教皇は加えられた――私達人間的考えとは違う意味があります。” |
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上記のような考えを述べられてから、教皇様は、更に、新求道共同体の旅人の特徴を強調されて、次のように言われた。“あなた方の旅を特徴づけるものと言えば、それは真の福音的な信頼です。何も携えず、何の保証もなく、自分に頼らずに、御摂理に全く委ね切って、主のなさることだけに任せるということです。 |
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続けて、教皇様は次のように言われた。“不思議な巡り合わせで、旅人の時代にローマの司教・教皇になった私もまた、旅人にならなければなりません。私の旅の仕方は――と苦笑され――多分、あなた方は認めてくれないと思いますが、私がする旅は正直に言って、あなた方の旅のような厳しさはありません。私に課せられ、求められる日程は、毎日余りにも多く、しかも行く先々には“パパモビル”教皇専用車が待っており、私は歩くわけにはまいりません。全くのところ、そこで私は、これ以外仕方ないではないかと自分に言い聞かせていると、謙遜にあなた方に打ち明けざるを得ません。”教皇様は結びとして、次のように言われた。“ですから与えられた現状のまま、我々は旅人であり続けましょう。私は旅する教皇として、あなた方はこれまで通りの旅人として。” |
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お言葉が終わると、ここに来合わせたことへの満足感を表わす拍手が、教皇様を囲んでいた四名の司教様方(イタリヤ人一名とペルー人三名)と出席者一同から、一斉に起こった。皆、心を一つにして、マリア様の賛歌を歌った。 |
| (*) オッセルバトーレ・ロマノ 紙 1984年9月27日 |