聖霊降臨徹夜祭
1998年5月30日 ローマの聖ペトロ大聖堂広場における
キコ・アルグエリョ氏の発言


 

新求道期間の道 

 新求道期間の道の経験は1960年、マドリードの貧しい郊外で、キコ・アルグエリョとカルメン・エルナンデスの先導で開始された。これは回心への道であり、この道を通して人々は福音の中に隠された富を再発見するのです。今日この道は、105ヶ国の中の850教区にも及び、4500の小教区の中には15000の共同体があります。 

 キコ・アルグエリョ氏 

 以下が、キコ・アルグエリョの発言です。

 「教皇様、第二バチカン公会議の実りとして、世俗化した世界に福音化の準備をするために、そして新しい福音化が実践可能となるために、聖霊が教会の中に起こしている使徒職と福音宣教と聖性の素晴らしい恵みに感謝するため、教皇様が私たちを召集してくださったことを、私たちは非常に喜んでいます。

 ぺトロの前で神に感謝する機会が私に与えられたことを感謝いたします。私と共にいる多くの兄弟たちの大半は、私のように教会から遠ざかり、死の恐れのために悪魔の奴隷として生活していた者たちです。しかし、ヘブライ人の信徒への手紙の中にあるように、神は私たちを解放するためにご自分の御子を送ってくださり、このキリストはご自分の死と復活によって悪魔の力を取り去って、復活して天に昇り、すべての人のためにご自分の傷を御父に示し、私たちに聖霊を遣わされました。この霊は私たちの霊に対して、私たちが神の子であること、又私たちが罪と死の力から、肉の誘惑から救われ、この世のごまかしからも救われた者たちであることを証言します。特に死の宣告を受けた私たちは、すべてにお いて自分自身のことだけを求めています。キリストは私たちをご自分の本性に与からせようとされました。彼が私たちを愛してくださったように、私たちも死を超えて愛することができます。それはキリストが私たちにご自分のいのち、永遠のいのちを与えてくださったからです。

 しかし、どのようにしてこの尽きることのない富をすべての人々にもたらすことができるのでしょうか?ここに新求道期間の道があります。神は貧しい人々の中で生きるために私とカルメン・エルナンデスを遣わされました。主は最も貧しい生活をしている人々と共に生きるように私たちを遣わされ、そこで私たちに宣教の総括であるケリグマを見出させました。

 つまり、人々の生活を変化させる生き生きとした典礼の中で、特に小さなキリスト教共同体の中に現わされる復活の神秘の再発見であり、このすべては第二バチカン公会議から始まったものです。このように、私たちはバチカン公会議の刷新を小教区にもたらす手助けをするための道具なのです。この公会議は、21世紀からの挑戦、特にこの世俗化からの挑戦に対する聖霊の解答であったと、私たちは考えています。

 教皇様はヨーロッパの司教様方のシンポジウムの中で家族を破壊しているヨーロッパの世俗化について話されました。その後で司教様方に向かって、『聖霊が既にこれらすべての問題に答えられました。何故ならキリストが教会を救われるからです』と言われました。それから、既に聖霊が息を吹き込まれたしるしがどこにあるかを、司教様方に探すようにと促されました。そして又、最初に行なわれた使徒職の模範に倣う新しい宣教が急務であるとも言われました。

 教皇様、多くの兄弟たちがこの広場を埋め尽くしています。この数多くの教会の事実をご覧ください。13年前の教皇様の言葉は予言的でした。これが教会を刷新するのを助けたいと望まれる聖霊の息吹です。

 現代人の福音化のために、彼らを信仰に導いてくれるしるしを彼らは必要としています。キリストは、『私があなた方を愛したようにあなた方も互いに愛し合いなさい。そうすれば世はあなた方が私の弟子であることを認めるでしょうし、あなた方が完全に一つであるなら、世は信じるであろう』と言われます。

 しかし私たちは、世俗化した人々にとって秘跡となりしるしともなれる背丈にまで達した信仰を、小教区のどこに見ることが出来るのでしょうか?私たちが神の敵であった時に私たちを愛してくださったキリストの愛、敵までも愛する愛はどこに見られるのでしょうかと、キリストは私たちに問いかけています。

 この新求道期間の道も又、他の多くのキリスト教の事実と同じように、人々が洗礼によって受けた信仰を小教区の中で成長させるためのーつの道です。その中でキリスト教共同体が作られ、それによってキリストの愛、この新しい愛、世界にとっての本当の新事実、敵に対する愛、十字架に掛けられるまでの愛をすべての人々が見ることができるようになることを望んでいるのです。

 この信仰の背丈にまで達するためには、神の子にも人間として成長し大人になるために共同体が必要でした。そのように私たちにも受けた洗礼を成長させる場としての聖家族のような共同体を作る必要があると明言します。私たちの信仰が大人の信仰にまでなり、現代の人々にしるしを与えられるようになることが必要です。

 教皇様、私たちはこの信仰の道から生じた数多くの実りを見ました。建て直された多くの家族や、神からの新しい命に開かれて6、7人以上、時には9人位の子供がいる多くの夫婦や、麻薬から救われた多くの青年も出ました。又神学院のための数千人もの召命、観想修道生活への召命、最も困難な所へ福音宣教に行くために自らを捧げる多くの家族がその実りです。これらすべては、司教様方の助けなしに、特にぺトロの助けなしには不可能なことでした。

 ぺトロである、教皇パウロ六世は私たちを初めて見られた時、私たちを多くの非難から弁護するためにこう言われました。『あなた方は初代教会で洗礼の前にしていたことを、洗礼の後でしているのです。洗礼の前か後かは二次的であって、重要なのは本物のキリスト者の生活とその頂点を目指すことであり、その功績は非常に大きいもので、私たちを深く慰めてくれます』と。

 しかし、特に教皇様はローマの小教区を訪問されて200回以上も私たちに大変な勇気をもって話され、家族を派遣し、又「レデンプトーリス・マーテル」神学院を設立するためにも私たちを勇気づけてくださいました。
 教皇様は私たちに確証を与え、私たちを助け、私たちと共に歩みながら、宣教に派遣される各家族が教皇様から派遣されたことを認識するようにと、一緒に写真を写されるのを受け入れてくださいました。又典礼においても私たちに助言してくださり、すべての司教様方を勇気づけるために教皇様ご自身から私たちとともに感謝の祭儀を祝いに来てくださり、この道を認めてコルデス枢機卿様に宛てた手紙の中で特にこう言われました。
 『新求道期間の道がこの時代のため、又現代人のために有効なカトリック養成のための道であることを認めます』と。
 教皇様、どうぞ今後も私たちを助け続けてください。何故なら、この働きは私たちを超えることであり、私たちは非常に貧しく、無益なしもべであり、全く最悪の邪魔者ですから。ペトロなしに、私たちはこれ以上前に進んで行くことはできません」。  


 1998年6月1-2日付 日刊紙 “オッセルバトーレ・ロマノ”